世話になった故古橋広之進氏

投稿者: | 2009年8月5日
故古橋広之進氏

故古橋広之進氏

8月になって、ローマの水泳大会で古橋広之進氏がなくなられたという記事を見た。私は、ちょうど今から40年前に東京の大井町にあった「品川とびうお」というスイミングクラブに通っていた。当時は、温水プールなど国内にほとんどなく、小学生の習い事といえば、庶民はそろばんか習字、裕福な家ではピアノかバイオリンというような区分けができていた。また、スポーツではON(王・長島)の活躍もあって、水泳というよりは少年野球が盛んであった。

私は、小学校3年で25メートルが泳げるようになった。当時かなり感動したのだが、その勢いで、その秋(1969年9月)に古橋広之進氏がはじめたスイミングクラブ(品川とびうおスイミングクラブ)に通うようになった。

当時は、小学校(品川区立大井第一小学校)のクラスの半数以上の生徒が、とびうおスイミングクラブに入った。私は、自信があるつもりであったが、なかなか級をとれず、バタフライで進級テストを受けてよいというOKが出るまで半年かかった。他の人は、ほとんど私より早く級をとって、育成コースや選手コースに進んでいった。ただ、なぜかやめていくのも私よりずっと早かった。私は、習得が遅くとも、我慢して続けていった。その時の訓練が基礎となって、中学、高校で選手で活躍した。高校(神奈川県立厚木高校)では、水泳部創設以来初の関東大会進出を果たした。そして何より、その後の研究者としての人生にも自信がついた

品川と杉並のとびうおなど、40年前に古橋氏が立てたスイミングクラブは、水泳選手の育成だけではなく、教育という意味でも、大きな貢献をしたと思う。当時の松山コーチ、小泉コーチ、出口(女性)コーチの練習が怖かった(松村コーチ、大屋コーチは優しかった)。現在はどうされているだろうか。マスコミは、古橋氏の貢献を、JOC委員や日本水泳連盟委員など、役職関係ばかりを報道しているが、本当はもっともっと大きいと思う。